だいじなはなし


ひるね式美術教室の個別授業で

地元大阪の児童施設で開催している「ひるね式美術教室」。
職員の方からリクエストをいただき、子供と一対一の個別授業を受け持つようになりました。

個別授業といっても進学塾の特進クラスのようなものではなく、子供の情緒安定をねらったアートセラピーのような感じ。

職員の方があげた生徒候補のリストをみると、いつもの教室でも特に注意が必要な、小学校で言えば、お家の方が学校に呼び出されそうな、そんな子供の名前が並んでいました。

「この子に個別で教えるのはなかなか大変かもしれないな」と思うと同時に、職員の方がそれだけ私を信頼してくださっているんだなぁと、うれしくも思いました。


職員の方と話し合い、Nちゃんが生徒に決まり、去年の夏ごろから個別教室が始まりました。

数年前に別の施設から移って来たNちゃんは、小学校高学年ではあるけれど、「自分とは」ということがまだわかっていない様子で、精神面はまだ幼稚園くらいに感じます。


今の施設に移ったばかりのころは本当にそれが顕著で、彼女とどう接したらいいんだろう? 彼女のこの行動は何の裏返しなんだろう? と、とまどうことが続きました。

教室には参加するんだけど、あまり熱心に課題をやらず、他の子にちょっかいかけたりするので、進行役としてはちょっと手強い存在でもありました(笑)


それが、どういうきっかけがあったのか、一年くらいしたころから、Nちゃんが積極的に課題に取り組むようになりました。
なにがあったのか、なにがよかったのかは、いまだにわからないのだけど。
私をためしていたのかもしれませんね。


そして、ひるねさんの個別授業が始まるよ、となったときに、Nちゃんの方から「やりたい!」と申し出があったんだそうです(うれしいねえ!)。


そんなわけで、去年の夏から、Nちゃんと私だけの美術教室が始まりました。

この教室で私が一番気をつけているのが「絵や美術をきらいにさせないこと」です。

百貨店などのワークショップでなんども見てきました。
親御さんがよかれと思ってしていることや言葉が、子供の気持ちにブレーキをかけてしまっているのを。
せっかく子供がやる気になっているのに、その芽をブチっと抜いてしまっているところを。

よかれと思った行いが、逆に子供のためになっていないなんてかなしいよね。

自分が子供に対してそういう態度をとっていないか、そういう言動をおもわずしていないか、そこに一番気をつけています。


しかも、個別授業の内容は、デッサンだったり、クロッキーだったり、小学生位の子供にとってはあまり面白くない内容です。
でも、絵の上達のためにはさけて通れません。

クロッキーやデッサンは、それ自体は面白くないけど、子供に絵の「理論」を説明するのに、とても有効だからです。

子供は「四角い箱は四角い」ということが、目で見て知っていても、理論ではわかっていないからです。


子供が絵を描くのが好きになるとき。それは、想い通りに上手に描けたとき、楽しく描けたとき、そんなときだと思います。

そのために、子供が楽しく描くための工夫、上手に描けるようになる工夫をするのが私の役目です(これがなかなか大変なのです笑)。



先日、うれしいことがありました。

将来の夢


写真は、Nちゃんが学校の図画工作の時間に作った粘土像です。
「将来じぶんが成りたいもの」というテーマで、粘土で大人になった自分をつくる課題だったそうです。

Nちゃんが選んだ「将来のじぶん」は、「絵描きさん」でした。
この粘土像は、絵筆とパレットをもってイーゼルに向かう将来のNちゃんの姿です。
Nちゃんは今、絵を描くのが好きみたいです。
絵を教えている者として、こんなにうれしいことはないですよね!

なによりこの像がとても楽しそうに絵を描いているのが、Nちゃんの未来は明るいんだって言っているみたいで、わたしには、本当に、本当に、しあわせに感じるのです。


2017年01月13日 *06:35│Comments(1)


ひるね式美術教室でした

地元大阪市の児童施設で毎月開催している「ひるね式美術教室」でした。

予想していたとおり、冬休みがはじまった子供たちは浮かれ気分(笑)
ワァワァキャアキャア、てんやわんやの楽しい教室。

この教室も来月から3年目。
毎回発見があり、毎回ドキッとし、毎回子供の気力にあたり、毎回たのしい、そんな教室です。

ひるね式美術教室201612



教室が始まってからいままでずっと、黒色しか使わない子供Aちゃんがいました。
顔でも樹でも動物でも、なんでも黒で塗りつぶすんです。しかもけっこう力強く。

「きれいな」絵ばかり見ている大人がみたら「この子、だいじょうぶかしら?」なんて思っちゃいそうな感じに、黒一色でぬりつぶしていました。

はじめはAちゃんの心理状態とか精神状態とかが気になりました。
なんで黒しか使わないんだろう?
なぞです。

Aちゃんが描いている様子をよくみていると、紙一面を黒で塗りつぶしているのではなく、手は手、葉っぱは葉っぱ、という風に、形をとらえて、それぞれを黒い色でうめています。
その様子をみていて、なんとなく「だいじょうぶ」という気がしました。

彼女自身が無邪気で朗らかだったから、というのもあります。


周りの子供は「うわー、きたない」なんてちゃかしたりしますが、私は「これはAちゃんの絵なんだから、Aちゃんが描きたいように描いたらいい」と言いました。


そんな風に見守りながら教室を続けている間、Aちゃんはいつも黒を選んでいました。
ところが最近、彼女の色づかいが変わってきました。

たくさんの色を、しかも複雑に使うようになったのです!



カラフルに描くようになったね



彼女のなかで、なにかが腑に落ちたのでしょう。
一歩一歩すすんでいるうちに、Aちゃんが自分の道をみつけることができた、そんな風に見えました。


カラフルに色をぬるようになったAちゃんの後ろで、私は「よっしゃ!!」と心のなかでガッツポーズをしていたのでした。
\(^o^)/

2016年12月30日 *16:21│Comments(0)


一流

私は、子供がふれる作品は一流のものであるべき、と思っています。
一流とは質が良いという意味で、高級という意味ではありません。

私の生み出した物が、誰かの人生を変えてしまうかもしれない。
誰かの性格形成に影響を与えてしまうかもしれない。

子供に向けて作品を発表するからには、「一流の物を作るべき」という責任を感じてます。

そんなわけで、ヒマさえあれば野山へ取材にでかけています。

ラスポンチャスのお話を作るにあたって、森や生き物、自然や季節などはとても重要なテーマだからです。

たった一場面のシーンでも、いろいろなことを知らなければなりません。
紅葉の樹の根元に春の花が咲いていたり、冬山に夏鳥がさえずっていたりしたらおかしいでしょう?
ストーリーのためにあえてそう描くのはいいでしょうが、無知なゆえにそんなおかしな表現をしてしまうのは避けたいのです。
だから作家は、創るものに対して、なんでも知っていなくちゃならない、私はそう思います。

童話を創るようになって痛感したことがあります。

私はほとんど何も知らない。

知識では知っていても体感したことがなければ、みずみずしく、臨場感を持って描くことができないのです。


知っていてあえて描かないのと、知らなくて描けないのとでは、まったく違いますよね。

私は自分がいま、どの辺りに位置しているのかは分かりませんが、一流でありたい、と思っています。

写真は、奈良県の和佐又山を取材中、山で見つけました。
鹿の頭蓋骨のようです。
ただひっそりと、そこにありました。

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*出店のおしらせ

12月……タカシマヤ名古屋店
(日程調整中)

2015年12月06日 *17:55│Comments(0)


命の大切さってなんですか

「命の大切さ」ってフレーズ、よく耳にしますよね。
よく耳にしますけど、実際どういうことなんでしょう。

これは私の考えですが、命の大切さを思うということは、「死」に焦点をあてることでもあると思うんです。
だから「命の大切さ」を伝えようとするほど、死について触れざるを得ないと思うんです。

けれど、昨今の風潮として、「死」に焦点をあてることを避けているような、そんな印象を受けます。

「死」についてまっすぐ正面から向き合うことは恐怖感を伴う場合もあるだろうし、心の状態によっては耐えられないと感じる場合もあるかもしれません。

けど、「死」については目をつむって見えないフリをして、それで「命の大切さ」を強く感じることができるでしょうか?

私が幼いころ、チョウチョの羽をもいで死なせたり、タニシを貝からはがして死なせたり、トカゲの尻尾をちょん切ってじたばたするのを眺めたりしたことがあります。
でもそのときの私には殺意や悪意は多分なかった。

じゃなんでそんなことしたんだろう?って思ってひとつ気づきました。
そのときの私は、まだ「死」ということを知らなかったのです。
羽をもいで動かなくなったチョウチョが、ただジッとしているのか、死んでいるのか、幼い私にはわかりません。

先週みたテレビドラマで死んだ人が、いま別のドラマで生きていたりするのをみると、幼い子供にはますます「死」がわかりません。


あるとき近所の川でマスをつかまえました。
山小屋のおじさんが、たき火で焼いてくれるといいます。
私は炊事場についてゆき、おじさんの作業を見ていました。
そのときの衝撃はいまでも覚えています。

ピチピチと動くマスの白いお腹にスッと小刀をあて、スルっと内蔵を取り出します。
内蔵が入っていたところに塩をぬり込みます。
そして、まだわずかにピクピクと動くマスの下腹の辺りからSの字をえがくように金串を刺して、炭の燃えるドラム缶で焼くのです。

たった今まで川で泳いでいたマスが、いまや食料となって目の前で火にくべられている……。
子供ながらに衝撃を受けました。
そのとき初めて、自分が他の「命」を食べて生きているんだと実感しました。


「死」について避けたり見ないふりをしては、「命の大切さ」は実感できないし伝わらないと思います。

世の中にあふれている「命の大切さ」をさけぶ声がなんとなく薄っぺらく感じるのは、多分そういうことなんだと思います。




出店のおしらせ



8/12〜18 タカシマヤ大阪店(5階)



9月 タカシマヤ京都洛西店(1階)






2015年07月31日 *02:20│Comments(0)


つまらないブログ

コニーチワ!
美しすぎない絵描き・ひるねです。

この「ラスポンチャス・作者のブログ」を初めてから10年経ちましたが、もう何年も感じていることがあります。




昔にくらべて面白くないブログになっている(哀)





理由も分かっています。
それは、「誰も不快感を感じないブログ、誰も傷つけないブログ」を書こうとしているから。

ブログを書き始めてしばらく自由奔放に好き勝手なことを書いていました。くだらないことから日常のこと、私が思ったこと感じたことを私の言葉で書いていました。
ところがあるときそれで人を傷つけてしまいました。それはブログを投稿したたときにはまったく想像もしていなかったことで、「なにげなく書いた文章でこんなにも人を傷つけてしまうことがあるんだ」とショックを受けました。
「これを書いたら批判を受けるかもしれないな」と分かって書いたのなら投稿した時点で覚悟もありますが、何気なく書いた文章が人を傷つけてしまったことでブログを更新するのが恐くなってしまったのです。


「なにが人を傷つけるかわからない。自分が書いた文章を読む人がどう受け取るかわからない。


思ったこと感じたことを書こうとしても、「これを読んで不愉快に感じる人がいるかもしれない」とブレーキをかけるようになりました。
そうすると、「自分の文章に誤解を招く表現があるんじゃないか」と気になって言葉選びに慎重になります。
そして当たり障りのない表現ばかりになってしまい、結局言いたかったことが書けなかったりします。
最後には「こんなに気を遣うくらいなら書かなくていいや」と、内容のあるブログを書くことを避けるようになりました。

気づいたら、猫とほぼ日手帳と出店のお知らせしか載っていないブログになってしまいました。


つまらないブログになったな……と何年か前から感じていて原因もわかりました。
さて、どうするか?

気楽にホンネを書きたいのが本音です。
でも私は根っからの毒舌でわりと批判屋です。
思うままに書いたら誰かを傷つけてしまうかもしれません。

「あなたって感じ悪いわね」みたいな言いにくいことをサラリとねちっこくない感じで言える人ってすごいなぁって思います。
どうやったらそんな風になれるんだろう。

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出店のおしらせ



7/22〜28 タカシマヤ泉北店(2階)



8月 タカシマヤ大阪店(5階)








2015年07月04日 *05:30│Comments(3)


ひるね式ぬりえ教室でした

ぬりえ教室201412

地元大阪市の児童養護施設で毎月開催している「ひるね式ぬりえ教室」、今年最後の教室でした。

私にできるかしら……って不安もちょっとありながら始めたこの教室でしたが、職員の方や、ひげおじさんのサポートもあり、回を重ねるにつれ充実してきているように感じます。


この一年、12回の教室を通して、わかったことがありました。
私が子供達に教えているのは、絵の技術ではなく「心」なんだなって。
絵の技術なんてものは、言ってしまえば技法書を読んで実践することである程度体得できます。
それに、子供本人が「絵がうまくなりたい」と思っていないうちから理詰めであれこれ教えることはあまり意味がないように見えます(幼児英語教育にも同じことが言えますね)。

色鉛筆の塗り方だとか、力の入れ方だとかは、あまり重要なことではありません。
私が子供達に伝えたい、教えたいことは、そんな手先の動かし方ではなく、もっと子供ひとりひとりの奥にある、感情だったり、気持ちだったり、そういう部分の話なんだな、って気づきました。
絵を描くことの楽しさ、自分の世界を表現することの開放感、思いやりの心、怒りの感情のコントロール、道徳観……。
大切なのはそこら辺。
「絵」は、それを伝えるための媒体でしかなく、絵が目的じゃないんだな。


それともうひとつ分かったことは、子供は、こちらが真剣に、そして分かるように話せば、ちゃんと理解してくれるってこと。
子供の感情や「?」って思う気持ちを無視したごり押し説明は、子供をさらにかたくなにさせてしまいかねません。

子供の言動をこまかく観察すること。
私が発する言葉を、子供は、私が思っている以上に重く受け止めることがあるから、言葉選びに注意すること。
この二つに特に気をつけるようになりました。


それにしても、子供のパワーってすごいですね!
一分一秒の間に、頭の中、心の中がぐるぐると変化しているようです。
異世界にプラグかなにかでつながっているんじゃないかって思うくらい突拍子もないことをやってみたり、こちらがハッとするほど真理をついたことを言ったり。

2015年も、真っ正面から子供たちに向き合っていこうと思います。













2014年12月29日 *06:43│Comments(0)


絵が笑うとき

4月2日から始まった高島屋出店も今日が最終日。
始まる前は、新しい出会いにワクワクしながらも、消費税率があがった直後だから今回は苦戦するかしら、高島屋の売上げに貢献できるかしら。ちょっと心配にもなりました。

店頭でお客様と直に接しているひげおじさんの話では、たしかにいつもよりはお客様が少なく感じるそうです。
けれどさすがは高島屋、目の肥えた方が多く来店されます。

「こんなお客様がいらしたよ」
「○○って感想をいただいたよ」

ひげおじさんからの店頭レポートを聞かせてもらっていると、高島屋へ来られる方は『きちんと創ったものは、きちんと評価してくれる』そんなお客様が多いように思えます。


今回の高島屋出店でも、絵が嫁いでいっています。
原画を迎えてくださったかたもありました。
うれしいことです。


絵が笑うとき




絵を販売するようになって何年か経ちました。
デザインフェスタやクリエータズマーケットのようなイベントで初めて絵を販売したときはドキドキしました。
「今まではメモだのボールペンだのグッズしかなかったけれど、ラスポンチャスの世界を閉じ込めた絵は、昔からのファンの人にきっと喜んでもらえるだろう!」
ワクワクしました。
けれど、そうしたイベントでは絵はほとんど売れず、何人かの、ほんの数えるほどの方にとどまりました。

いまだから言えることですが、正直ショックでした。
みんなはラスポンチャスの世界じゃなく、メモだのボールペンだのの『実用品』を買ってくれてただけなのか? なんて考えたりもしました。

デザフェスやクリマのようなイベントは、『創られたもの』に対して意識の高い人が来場されるのだと思っていたので、絵が評価されないということは、私の技術や技量が足りないのかもしれない、と落ち込んだりもしました。




先日、街へ出たときに、パン屋さんに入りました。
初めて入ったお店。

たなに並べられたパン達をみて、『あ、パンが笑っている!』と感じました。
「こんにちは!」
「こんにちは!!」
「わたしはとっても美味しいですよ!」
「ねぇねぇ、わたしを味わってみませんか?」
「僕は見た目は悪いかもしれないけれど、味はすごくいいんですよ。僕にしませんか!」
「きゃははは!」
パン達がなんだかとても楽しそうなのです。

そのときにピカーンとひらめきました。
『作品でも、笑うときと笑わないときがあるのかもしれない……。』



高島屋の店頭では、ラスポンチャスの絵が笑っているのだと思います。
ポンチャの絵が楽しそうに笑いながら、人々に話しかけているんだと思います。

「おばさま、こんにちは! そんなに急ぎ足だと転んじゃうよ。ちょっと休みませんか?」
「うふふふふ、私たち、こうして絵のなかで動かずにいるけれど、あなたのこと見つめているんだよ!」
「あなたのおうちにピアノがあるなら、夜中に少し弾かせてね」

そんな風に笑っているのだと思います。

そんな風にして出会ってくれた方に選んでもらって、連れてかえってもらったり、贈り物として使者になったりした絵は、そこでもきっと笑っていると思います。



どんなに思いをこめて描いた作品でも、環境によっては笑わない(笑えない)のかもしれませんね。
今回の高島屋出店で、そんなことに気づきました。



2014年04月08日 *00:23│Comments(3)


作者のわたしにできること

1月から、大阪の児童福祉施設で、ラスポンチャスぬりえ教室を開催しています。

私自身、小さい頃に孤児院でお世話になり、こうして大人になった今、何かできることないかな〜って思っていたんだ。

ラスポンチャスを通じて、愛されない子供を減らしたい、息がつまっているお母さんたちの肩の力を抜くお手伝いがしたい、と思って創作しているけど、もっとできることあるんじゃないかって思っていたんだ。

作家としてできることっていったら、ラスポンチャスで大もうけして、寄付するとか?
財団を設立するとか?
出版した絵本でチャリティーとか?

う〜ん……どれも「いま」の私にできることじゃない。
いつになったらできるんだ?? しばらくできそうもない。


けどまてよ、作者の私が出向いていって教室をひらけば、ひとまず大きなお金はかからない。よし、やろう!
ということで、毎月ぬりえ教室を開催しています。

つてがあり、大阪の児童福祉施設を紹介してもらいました。
施設長や職員の方とお話し、じっくり長い目で子供達と接したいこと、真剣に子供達に向かう覚悟があることをお伝えし、毎月お邪魔することになりました。


ま、実際の現場はそんな堅苦しいものではなく、元気いっぱいの子供達にもまれながら、ワイワイガヤガヤとぬりえを楽しみ、気がついたら絵がうまくなっている……! という教室。
ステキでしょう?


絵を描くことで現実からはなれられたり、逆に、冷静に現実と向き合えたりすることってあると思うんだ。
私自身もそうだった。

親に愛してもらえない、っていう消化しようのない寂しさや悲しみを、絵を描くってことで減らせたらいいなって思うよ。
「自分にはこれができる」っていう自信につながったらもっといい!


それにね、実はもっと大きな野望もあるんだ。
将来ここの園からプロの画家や芸術家が輩出されたらいいなって!

その道のりのための、小さなレンガを敷く役割、それが今の私にできること。
私は私の役割を精一杯つとめます!


みんなにもお願いがあるよ!
ラスポンチャスが好きで、お金がある人は、グッズを購入してください。
実感はないと思うけれど、それがチャリティにつながっています。

直球すぎる言い方で、イヤに感じる人がいたらごめんね。
うわべだけの建前はいやなんだ。
包み隠さない正直な気持ちです。

ぬりえ名刺つくろう

明日は3回目のぬりえ教室。
少しづつ子供の名前と顔を覚えられてきた。
子供それぞれの取り組み方の「クセ」も見えてきた。

そしてそろそろ、子供達の私に対する遠慮がなくなってくるころだと思う。
そうなったら、ココロの距離が近づいていくんじゃないかな、楽しみです。
\(^o^)/




2014年03月08日 *00:49│Comments(2)


こうなってほしかったんだ!

出店中の阪急百貨店に追加納品に行ってきました。
ラスポンチャスの売り場にお客様がどんな反応をするのか気になったので、納品が終わってから、しばらく上の階から眺めていました。

平日の朝とあって人通りはまだ少なめ。
それでもポツポツと、道行く人がラスポンチャスの前で足をとめてくれます。
私はその様子をにこにこと見つめておりました。

3歳くらいでしょうか、ひとりの男の子が元気よくポンチャのぬいぐるみの前にかけよってきました。
男の子は背伸びをして、きぃポンチャを手にとりました。
きぃポンチャの頭をなでたり手をにぎったりして、そして、きぃポンチャをギュウウっと抱きしめました。
その様子をほほえましく見つめていたら、お母さんらしき人が男の子のそばにやってきました。
そして、きぃポンチャを抱きしめている男の子を、さらにギュウウっと抱きしめました。
なんとも暖かい、幸せに満ちた光景で、うれしくて涙が止まりませんでした。

私がラスポンチャスを描いたり創ったりしている、一番の目的はこれなんだ。
もっと子供を愛してほしい。
子供は平気な表情(かお)をしていたって、ほんとは愛を欲している。
自分を否定する何気ない小さな言葉にいちいち傷ついている。
ねえおかあさん、と呼びかけたとき、こちらもみないであしらう母親の態度を見つめている。
そしてその満たされない気持ちを抱えたまま成長してゆく。

そんなササクレのような小さな心の痛みを少しでもなくしたい。
世の中のお母さんたちに、子供を愛するってことの幸せさに気づいてほしい。
愛されない子供を一人でも減らしたい。

そんな願いを込めながらラスポンチャスを創っていて、そして、目の前で、その願いが叶えられる様子を目撃して、嬉しくて涙が止まりませんでした。

ラスポンチャスを生み出して、本当によかった!

はなちゃんと赤ポンチャ
2013年12月18日 *15:31│Comments(1)


すてきなもみの木

クリスマスにぴったりの絵が描きあがりました!
タイトルは『すてきなもみの木』

pc_112_すてきなもみの木


ポンチャでクリスマスを描くのは初めて。
キリスト教徒でもないのに、心を込めてクリスマスの絵を描けるわけないって考えてたから。。

わたしが二十歳になった冬、もめにもめていた実家をカバン一つ持って飛び出した。
それから今までなんとか独り立ちしているわけだけど、家を出てからしばらくはシェルターのような所でかくまってもらい、年が明けてからは、カトリック系の女子寮にかくまってもらった。

初めて寮をたずねた時、玄関に大きなクリスマスツリーが飾ってあった。
もう年も明けたのに? と不思議に思っていたら、キリストの生誕節というのは12月25日に終わるわけじゃないんですよ、もうしばらくあるんです、と寮母のシスターが教えてくれた。

それから真に独り立ちするまでの数年間をその女子寮でお世話になった。
別棟に祈りのためのオミドウ(御御堂)があって、毎週決まった曜日に小さなミサが開かれていた。
寮生はみなミサに列席することになっていたので、私も列席した。

私はキリスト教徒でなかったので、だれに、なにを、どう、祈っていいやらわからない。かといって居眠りが許されるような空気でもない。静かに祈りを捧げる皆の姿をぼんやり見つめていた。

シスターたちはみな、左手の薬指に指輪をしていた。
え? シスターって既婚?? と思ったらそうではなく、それはイエスさまと結婚しているのだそうだ(あ、ということはやっぱり既婚か)。

シスターたちはみな、朗らかで、静かで、けれども私がおかしな冗談など言うとキャッキャと声を出して笑うような可愛さも持ち合わせていた。おばあちゃんシスターも若いシスターもみな、女学生みたいな清らかさをまとっていた。

ある日、あるシスターが、キリスト教について私に説いた。
私は特に信仰している宗教はなく、寮に住まわせてもらっているからといってキリスト教を信じるというのもどうかと思った。信仰心もないのに〝フリ〟だけするのは、かえって失礼だと思った。
「ねぇシスター、〝信じる〟っていうのは、誰かを好きになるのとおなじようなもので、人に言われてすることでもないんじゃないの。気がついたらそうなってるものなんじゃないの。」
シスターに説教をするなんて、いま思えばずいぶん生意気なことをしちゃったな。
けど、こんな生意気にも、シスターは笑って「そうね、なるようになるわね」と、無理強いはしなかった。


寮には大きなクリスマスツリーがあって、毎年みんなで飾りつけをした。
大きなもみの木に、色とりどりの飾りをつけてゆくのはとても楽しかった。

この絵は、そんな思い出を思い返しながら描きました。




2013年12月12日 *06:42│Comments(1)


たんじょうび

冬になったら、私の誕生日がやってきます。

大人になってからずっと、私は自分の誕生日を祝う気持ちになれずにいました。それは、私を産んでくれた人との別れの日でもあったから。

私を産んでくれた人は、どんな気持ちで、その日を迎えたのだろう。。。
「やっと解放された」とせいせいしただろうか。
でも、それでもいいよ、産んでくれてありがとう。
丈夫な身体に産んでくれて、感謝しています。
産まないという選択だってあったのに、あなたの人生のうちの何ヶ月かを一緒に過ごしてくれて、そして産んでくれて、ありがとう。

いま、しあわせにしていますか?
もし、私のことを思い出すことがあって、そして、もし仮にも私に対して申し訳ないというような気持ちになることがあったとしたら、それは違います。
私は感謝しています。
あなたにしあわせでいてほしいです。

以前、父から聞きました。
私の手や、足の指は、あなたにそっくりなんだそうです。
こうして丈夫な命を与えてくれてありがとう。

いまもまだ、自分の誕生日を喜ぶ気持ちにはなれない弱い私だけれど、あの日、あなたが私を産んでくれたおかげで、ラスポンチャスという作品が産まれました。

あなたがどこかの街で、ラスポンチャスと出会ってくれてたら、すごく嬉しいなぁ!



2013年11月18日 *15:11│Comments(4)


孤児院の思い出

ニベアクリーム


【孤児院の思い出】

このニベアクリームの青い平べったい缶をみると、子供のころの懐かしい記憶がよみがえる。

わたしがお世話になった孤児院は、母体が仏教系だったこともあってか躾には厳しかった。
園での組み分けは縦割りで、2歳〜12歳までの園児が各一人づつ、8人くらいで組み分けされていた。組み分けされた子供たちは同じ部屋で寝泊まりをした。
小さい子はお兄さんお姉さんの行動から学び、大きい子は小さい子の面倒を見ていた。

朝は早起きで、冬にはまだ外が暗かったから5時か6時くらいだったろうか。
子供たちは起きると、まず自分の寝ていた布団をたたんで押し入れにしまう。そして着替えたり、顔を洗ったりして身支度を整えると、掃除の時間。
掃き掃除、拭き掃除をみんなでやる。小さい子も大きい子も分け隔てなく、一緒に掃除をする。

園には長い廊下が何本かあった。
子供たちは、しぼった雑巾を手に、長い廊下に四つん這いになってまっすぐ雑巾がけをする。
みんなでやるから駆けっこのような遊びの延長で、けっこう楽しんでやっていた。

つらかったのは冬で、床は冷たいし、冬の朝の冷たい水で雑巾をすすいだりしぼったりするのはなかなか大変だったことを覚えている。

雑巾がけが終わると子供たちは廊下に一列に並び、片手を前に差し出して待つ。
ズラリと並んだ子供の手に、先生がニベアクリームをちょこん、ちょこんと塗ってくれる。先生が手の甲に乗せてくれたクリームをくるくると伸ばしながら、みんな嬉しそうだった。
ほのかに甘いようなあの香りを思い出すたびに、なつかしさで胸がしめつけられる。

自分のことは自分でやらなければならなかった園の生活の中で、先生が手にクリームを乗せてくれるあの瞬間だけは、自分のために、自分のためだけにしてくれていることで、たった一瞬だけど、先生という母の代役を独占したような気持ちになって、なんとなく誇らしい気持ちになった。


この青い缶に詰まった私の思い出です。

2013年09月29日 *23:33│Comments(2)


おばあちゃんとももポンチャ

友人のおかあさんが入院したのでお見舞いにいった。
私は「おばあちゃん」って呼んでる。
私はこのおばあちゃんが大好きなの。
初めてであったときにはすでに認知症でボケが始まってた。

5分ごとに物を忘れちゃって何回も同じことで驚くのよ。新しく物を覚えたりすることはもうないんだよね。と友人は言う。
それでも、いつ会ってもニコニコニコニコしていて、朗らかで、言葉もしっかりしているし、はためにはボケてるとは分からない。

おばあちゃん、骨折してしまったので入院。
で、お見舞いにいったの。
以前よりボケもすすんでいるらしい。
友人が「おばあちゃん一人で寂しいだろう」と、ももポンチャのぬいぐるみも一緒に入院させてくれた。

おばあちゃんとももポンチャ

おばあちゃんはいつもどおりのニコニコ笑顔で、テーブルにポンチャ座らせて、なでたり、話しかけたりしているの。
ときおり「うんうん、そうかそうか、お前もそう思うか」なんて相づちうったりして。
おばあちゃんがももポンチャを見つめるまなざしは、ほんとうに優しくて、純粋で、神々しくさえ見えたよ。

働き者だったおばあちゃんの手はシワシワでカピカピ。お顔もシワだらけなんだけど、でもそれがすごくきれいなの。なんていうんだろう、毒がないんだよね、表情に。
そんなおばあちゃんを見ていると、老いるってこんなに美しいことなんだ、って思えるんだ。こんな表現は失礼かもしれないけれど、80年以上かけて作られた作品のようにさえ思えるんだ。

ボケてから出会ったのに、私をみて「ひるねさん」って呼びかけてくれたことが、すごくすごく嬉しかったよ。

おばあちゃんとももポンチャのやりとりを見つめていて、ラスポンチャスを生み出してよかった……って、シミジミ思ったんだ。
おばあちゃん、大好きだよ!


2013年06月12日 *00:54│Comments(1)


ただ存在するだけのもの

ラスポンチャスでは、文具やらスタンプやらいろいろグッズを作っているわけだけど、数あるグッズのなか、絵画やぬいぐるみを買っていただいた時のうれしさは格別です。
ボールペンとかメモとかは「使う」っていう目的がある実用品だけど、絵やぬいぐるみは、何かに使えるわけでもない「ただ存在するだけ」のもの。
そして、「ポンチャそのもの」でもあると思うから。
だから絵やぬいぐるみを迎えてもらったときは、「あぁこの方は、ラスポンチャスの世界を受け入れてくださってるんだなぁ」と嬉しさが増すのです。
みなさん、いつもありがとう!
2013年06月09日 *09:52│Comments(0)


6月6日

おはポンチャス!


あはっ!


うふっ!


えへっ♪


今日は6月6日だよ!



6月6日は……




6月6日はラスポンチャスの日!


わーい\(^o^)/




今年の「ラスポンチャスの日」の絵はがきはこんなの ↓
発送がギリギリになってしまったけど、みんなのところへ届いたかな……?

ラスポンチャスの日2013




6月6日の6ヵ条、みんなで実行して、笑顔でいっぱいの一日にしよう♪

【6月6日の6ヵ条】
6月6日は 友だち6人集まってみよう
6月6日は 6つの美味しいものを食べよう
6月6日は 6回よそ見をしちゃおう
6月6日は 好きなことを6つしよう
6月6日は 6回声を出して笑おう
6月6日は 6人の人にありがとうを言おう




そして、今日は大阪なんば高島屋でサイン会とぬりえ教室♪
「ラスポンチャスの日」をいっしょに祝えるといいなぁ……!!
みんな、高島屋7階に来てね♪




2013年06月06日 *06:06│Comments(5)


「みんなのノート」にお返事を書くことにした\(^o^)/

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ロテンやイベントで、みんなにメッセージを書いてもらっている「みんなのノート」。

みんなが書き込んでくれたメッセージを読んでいて、ふと気づいたの。

これ、お返事するべきじゃろ、って。
そしたら、「なんて返事が書いてあるかな〜♪」って、楽しみにしてもらえるかな〜って!

なので、さっそくお返事を書いています。
みんな、いつもあたたかいメッセージ、ありがとう!
読んでるとニヤニヤします♪
\(^o^)/

2013年03月29日 *09:08│Comments(0)


マジメすぎてつまらないのを卒業したい

最近ね、自分と自分の作品を客観的にみつめます。
どうもね、マジメなんですね、あたしゃ。
マジメであるということは、とてもいいことなのだけど、なんというか……、創作物が「型にはまっている」ような気がしてならないのです、最近。

2010年の5月、デザフェスの帰りに栃木県の那須高原を訪ねたのだけど、その時にお会いした美術家の方に言われたのでした。

「マジメだな」と。

その「マジメだな」は、どうも褒められているのではないニュアンスだったのでした。
そのときはマジメの何がいけないのかよく分からなかった。
それがね、最近ちょっと分かって来たような気がするのです。
つまらない、のですよ、作品がマジメすぎて。
優等生すぎるのです。お行儀が善すぎるのです。
優等生も、お行儀もよいことはよいのだけど、それが「すぎる」と、つまらんのです、なんだか。
道に例えるとね、まっすぐすぎるんだわ。
こりゃつまらんわね。

ほほう、なるほど、あのときの「マジメだな」は、こういうことか! と、2年半も経ってようやくわかりました。心に届きました。ありがとうございます、先生!


私はついつい「こうでなければならない」とマジメに考えてしまいがちなのだけど、作品の中ではもっと自由でいいのかもしれません。
マジメすぎるのを卒業したいと思います。
ラスポンチャスをもっともっと成長させたいです。

2013年01月21日 *05:33│Comments(2)


旅のおわりに

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大阪に向けて出発しました!


旅のおわりは、ロテンでお会いしたみなさんとの暖かさと、疲れと、そしてさみしい気持ちが入り交じります。
タタンタタンと電車の走る音が心地よくひびきます。



ラスポンチャスの知名度を少しでもあげたくて、旅に出たのが7日前。
ラスポンチャス、広まってくれたかなー!


絵はがきを並べてロテンしているとね、いろんな人が通ります。
若い人、お年寄り、急いでいる人、ぼんやりしている人、笑っている人、神妙な人、おとな、こども、たまに犬。

こんなにたくさんの人がいるのに、この中の誰一人ラスポンチャスを知っている人はいないんだ、と、自分の小ささ、力のなさを思い知るんだ。


知名度ってなんだろうね。
最近よく「知名度魔」が夢にあらわれます。
モワーッと追いかけてくる。


知名度ってなんですか?
何人の人に知られれば「知名度がある」のでしょう?
ちょっとね、むなしさのようなものも感じたりしてね。


まぁしかし、いまのラスポンチャスにはまだ知名度がない、ということはわかります。


仕事にするということは、こういうことなのだ、と自分に言い聞かせています。


しんみりしてしまった!
(^-^;
旅のおわりはセンチメンタルになっちまいますな。
\(^o^)/



このロテン旅でラスポンチャスに出会ってくれたみなさん、本当に、本当にありがとう!
あなたに出会いたくて、こんなバカな旅をしているのです。
出会ってくれたラスポンチャスを、どうぞよろしく!

ロテンに会いに来てくれたみなさんも、どうもありがとう!
旅先でラスポンチャスを知っている人に会えるのは、心強いものです。たぶん、あなたが思っているよりも、私の力に、心の支えになっています。
本当にありがとう!



さぁ旅はおわります。
待ってろ!
ちーちゃんっ!!

2013年01月10日 *18:43│Comments(3)


ハードルは並んでいるが、越えられるはずだって信じてる

ハードルはいくつも並んでいる。
ピョイっと越えられそうなのから、壁みたいに高いのまで、ズラリと並んでいる。
ひとつづつ越えてゆけばいいんだ、後ろにさがるってことはないんだから。


商談は和やかに穏やかに終わりました。
ラスポンチャスの絵本を世に出すための商談です。

いや、世に出すだけではだめなのです。
世に出して、人の手に渡り、その人の心に残らなければ。


ハードルはズラリと並んでいるけど、いままでは、このスタートラインにすら立てなかったんだ。
ひとつづつ越えてゆけばいいんだ。


この先、どうしても私の力で足りない時には、みんなの力をかしてください。



夜行バスの時間まで、次のおはなしの原稿!
さすがにちょっと眠いけど、寝るのはバスに乗ってからでもできますから。

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2012年10月17日 *21:53│Comments(5)


自分の基準の話

最近とても驚いて、数日たった今でもいまだに信じられないことがあります。

みんなは、服でも音楽でもなんでも、何を基準に選んだり買ったりしていますか?
私は、世の中の大半の人は「自分の好みに合っているかどうか」で物を選んでいるのだと、今までそう思っていました。
ところが、どうやらそうではないらしいのです。


先日のクリマ出店の撤収の時、ブースを片付けながらスタッフの皆に訊きました。
「どうしたらもっとラスポンチャスを広められるのか」
「どんな言葉で説明したら作品に込めた「思い」が伝わるのか」
「ラスポンチャスのブースを素通りしていってしまう人達に、どうアピールしたらいいのか」

ひげおじさん、たくちゃん、きくっちゃん、それぞれ「こんな文言がいいんじゃないか」「手軽に手にとれるチラシのようなものがあったらいいんじゃないか」など、いろいろ意見を聞かせてくれました。

けれど、自分で質問しておきながら、「ラスポンチャスを見て、ピクリとも何も感じない人に、いくら言葉や文字であれこれ言っても同じなんじゃないか」とも、思っています、じつは(こんなことを言うのは感じが悪いね、だけど本音)。
「作品にすべてこめてある。作品を見てもらえたら説明も言葉もいらない。」というのが私の本音のドマンナカです。

けど、全員の人に、何も言わず作品を見ただけですべてを分かってくれ、というのも傲慢だし、「一人でも多くの人にラスポンチャスを知ってもらいたい」と思うので、声をかけられそうなときは「ひとりよそ見をしている子がいること」「みな同じじゃなくてもいいし、個性的でいいんだと思ってポンチャ達を描いていること」を説明します。

その説明が適切なのかどうかは正直わかりません。
心のなかで「絵をみてわかって」という気持ちがあるから、不愉快な感じの説明になっているかもしれません。



クリマの撤収をしながら、「もし仮に、いまラスポンチャスがテレビアニメ化されて全国で放送されてたとしたら、今回のクリマでブースを素通りした人も立ち止まっていたと思う?」
と、皆に訊いてみました。

「少しは違うでしょうね」「なかにはそういう人もいるでしょうね」というような答えが返ってくると思っていたら、「ぜんぜん違うでしょうね。たくさんの人がブースに入って、そしてグッズを購入するでしょうね」という答えでした。

びっくりして、「え? 今まで素通りしてた人が、だよ?」と聞き直しました。
だっておかしくない? テレビでやってなかったら素通りだけど、テレビでやってたらグッズ買うって。


ラスポンチャスがテレビアニメ化されたら、それをきっかけにラスポンチャスを知ってファンになってくれる人はすごく増えると思う。
けれど、すでにポンチャを見て知っているけど興味ない、って人が、テレビでやるようになった途端に興味もつって……。なんだか腑に落ちない。


「テレビでやってるから」「流行ってるやつだから」って理由で物を買う人がそんなにいるかしら? と不思議に思うのだけど、どうもそうではないらしいのです。
「世の中の八割くらいは、有名だから、流行ってるから、という理由で動く人だと思いますよ」と。
たくちゃんもきくっちゃんも、わたしよりも的確に冷静に世の中を見ているので、彼らが言うのだからきっとそうなんだと思います。


しかし、びっくりして言葉を失いました。そんなものなのか……。


私は、服も音楽も「自分がいいと思ったもの、自分が好きなもの」を買います。
流行っているかどうかはまったく気にしない。
音楽はラテンやボリウッド、アラビックなどが好きで、旋律の中に物悲しさをにじませながらもテンポの良い曲がとても好みです。
洋服はとにかく焦げ茶色が好きで、余計な装飾がなく、肌を露出しない、素材のよいものが好みです。
流行っているかどうかはまったく関係ない。
ピンク色の服がどれだけ流行ろうとも私はピンク色の服は着ないし、どれだけ流行ろうとも自分が好きじゃない曲を買うことはありません(そもそもピンクの服なんて私には似合わない笑)。


いままで、世の中の大半の人が私と同じような感覚だと思っていたけれど、実際はそうではないみたい。
おどろきました。


ま、だからといって、ラスポンチャスを「はやり」にそった物にしようとはちっとも思わないけどね。
そのうち流行のほうがラスポンチャスを追いかけてくることでしょう(笑)


しょうもないたわごとですみません。




2011年06月22日 *06:03│Comments(7)

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ラスポンチャスは
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ひるね

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東京都武蔵野市

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ラテン
アラビック
ジプシー
ボリウッド

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こげちゃいろ

性格
まじめ時々いいかげん
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ほんとに人見知り
いたずら好き
けっこうガンコ
熱したら冷めにくい
かなり自己中
じつは毒舌
天才(自称)
いらんことしぃ
精神年齢6歳


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